そこでそもそも「いらない思考」を湧かせないために、苦しい幻を湧かせないために、
「心を軽くする」というのが必要になってくる。
心というのはいつの間にやら余分な荷物をたくさん背負ってしまっている。
肉体でも荷物が多いほど余計な体力を消費するが、
精神も同じで、余分な精神力を消耗する。
その荷物とは、"我欲我見"、通称"が"や"エゴ"と呼ばれているもので、
中には恐怖心が詰まっている。
最初はただ何かをやりたいとか、何かが欲しいとか、興味と楽しみで湧いてきた心のはずが、
いつの間にか恐怖からくる"が"や"エゴ"になってしまっている。
お金が欲しい > いつの間にか > お金がないと不幸になる
恋人がほしい > いつの間にか > 恋人がいないと不幸になる
友達が欲しい > いつの間にか > 友達がいないと不幸になる
社会的地位が欲しい > いつの間にか > 社会的地位が低いと不幸になる
世間体を良くしたい > いつの間にか > 世間体を失うと不幸になる
人類ランキングを上げたい > いつの間にか > なめられたら終わり
右側が余計な荷物。
これらをこじらせると、お金に執着するあまりに犯罪に走ったり、
友達を失いたくない一心で謎の行動をして逆に友達を失ったり、
祝福のはずの冠婚葬祭が憎しみに変わったりする。
興味で行動しているうちは良いのだが、恐怖心で行動するとロクな結果にならない。
(私が最も「いらないエゴ」だと考えているのが、"謎の人類ランキング"で、
学力とか運動神経とか、比べられるものがあって比べるのは構わないのだが、
なめられたら終わりって考えに至ると、ただ他人を否定して自分のランキングを上げた気になろうとする。
「のび太のくせに生意気だ」になる。)
これらの荷物を一つ一つ降ろしていくと心が軽くなっていく。
・外側の豊かさは幸せに比例しない
と理解できれば一発なのだが・・・。
(周りに、収入も地位もあり結婚もしているのに、いつも不機嫌な人間がいる、
って人は理解できると思う。)
こうして心を軽くしていれば「いらない思考」が湧きずらくなり、
瞑想がはかどる。
つづく
「心を軽くする」というのが必要になってくる。
心というのはいつの間にやら余分な荷物をたくさん背負ってしまっている。
肉体でも荷物が多いほど余計な体力を消費するが、
精神も同じで、余分な精神力を消耗する。
その荷物とは、"我欲我見"、通称"が"や"エゴ"と呼ばれているもので、
中には恐怖心が詰まっている。
最初はただ何かをやりたいとか、何かが欲しいとか、興味と楽しみで湧いてきた心のはずが、
いつの間にか恐怖からくる"が"や"エゴ"になってしまっている。
お金が欲しい > いつの間にか > お金がないと不幸になる
恋人がほしい > いつの間にか > 恋人がいないと不幸になる
友達が欲しい > いつの間にか > 友達がいないと不幸になる
社会的地位が欲しい > いつの間にか > 社会的地位が低いと不幸になる
世間体を良くしたい > いつの間にか > 世間体を失うと不幸になる
人類ランキングを上げたい > いつの間にか > なめられたら終わり
右側が余計な荷物。
これらをこじらせると、お金に執着するあまりに犯罪に走ったり、
友達を失いたくない一心で謎の行動をして逆に友達を失ったり、
祝福のはずの冠婚葬祭が憎しみに変わったりする。
興味で行動しているうちは良いのだが、恐怖心で行動するとロクな結果にならない。
(私が最も「いらないエゴ」だと考えているのが、"謎の人類ランキング"で、
学力とか運動神経とか、比べられるものがあって比べるのは構わないのだが、
なめられたら終わりって考えに至ると、ただ他人を否定して自分のランキングを上げた気になろうとする。
「のび太のくせに生意気だ」になる。)
これらの荷物を一つ一つ降ろしていくと心が軽くなっていく。
・外側の豊かさは幸せに比例しない
と理解できれば一発なのだが・・・。
(周りに、収入も地位もあり結婚もしているのに、いつも不機嫌な人間がいる、
って人は理解できると思う。)
こうして心を軽くしていれば「いらない思考」が湧きずらくなり、
瞑想がはかどる。
つづく
コメント