F12とかでちょくちょくガイドからメッセージはもらっていて、メモもしているのだが、

ブログに書くとなるとちょっと書きづらい。

そういうときは、やはりハイアーセルフ。ヘミシンク『ハイアー』を聞く。



白い花びらが舞って、ハイアーセルフの姫が現れた。

右手に傘、左手に七輪を持っている。

姫は七輪を地面に置いて、しゃがんで七輪をじっと見つめ始めた。

メイホン「何をしているんですか?」

「何を焼くのかは、好きに選べばよいこと。 しかし網が汚れていては台無しです。
網を綺麗なものに代えましょう」



姫は網を取り換えると、サンマと椎茸を焼き始めた。

メイホン「それって、また瞑想して価値観を変えて、穢れを払ったりしてから、自分の目標に進めと言う意味ですか?」

「それはどうでしょうか。 解釈も自由です」

メイホン「・・・。 なんかスピリチュアルなメッセージは無いんですか? アセンションとか引き寄せの法則とかあるでしょう」

「本質的にはすでに引き寄せています。 人生とは、最初から人が自由に決めたものだからです。
そもそもは自由しかないのですから。
物質界は映画です。 人生をレンタルして再生しているのですから、
どの人生をレンタルするかを自由に選んでいる時点で、もう引き寄せていると言えます。」



メイホン「では、途中で改変しようとして、引き寄せの法則を頑張ってみても、無駄だということですか?」

「引き寄せられる運命なら引き寄せられます。
引き寄せられない運命なら、引き寄せられません。
もう一度言いますが、私はあなたの幸せを願っています。
運命に身を任せる必要はありませんが、意識を運命の流れに同化させれば幸せになれるかもしれません。
バイアスを外すというのはそういうことではないでしょうか。」

メイホン「サンマと椎茸には何か意味があるんですか?」

「別の言語にすると何か意味があるかもしれませんね」



次に、姫は『こいのぼり』を立てた。

「鯉は龍に憧れ、龍は鯉に憧れる。 もっと自分の良いところに目を向けてみてください」

メイホン「ありがとうございました」



サンマはググるとこんなのが出てきた。 wikiより。

サマーディの音写である三昧(さんまい、サンスクリット語: समाधि, ラテン文字転写: samādhi)は、仏教やヒンドゥー教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。三摩地(さんまぢ)、三摩提とも音訳され、等持、定と義訳される[1]。サマーディの語は「組み合わせ」という原義から「心を等しく持すること」の意に転じたもので、サマーパッティ (samāpatti, 等至) とも意味内容はほぼ同じとされる[1]。仏教における三昧の同義語・類義語については定にて解説するが、(定の定義に沿っているか否かにかかわらず)三昧と呼称されるものを本記事にて解説する。

このsamādhiという語は、インドの瞑想の伝統の中で培われたものであり、仏教だけでなく、共通の背景を持つヒンドゥー教やヨーガの用語としても用いられている。インドでは聖者の入滅をサマーディと表現する[1]。


しいたけはわからん・・・

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