「ああわかったぞ、思考でランダムに引くってのが無理がある。

頭の中でランダムにカードを引けるわけが無い。必ず意思が入るからな。

ランダムなのに結果が選択できるというのは、まさに神か悪魔の所業。

でも思考なんだから、俺が結果を選択できるという神になることも全然OKなはず。

でもなんかスッキリしないから、実際にトランプを引いて問題を作ろう。

実際にランダムに引いてダイヤ3枚でたらスッキリするだろう。

目の前で起こったことを書くだけなんだからな」

こうして私は問題どおりに、まず1枚抜き出して箱の中に入れ、トランプを切り混ぜて3枚引いた。

3枚ともダイヤではなかった場合は最初からやり直し、100回近く試行した所で、やっとダイヤが3枚出てきた。



「これで良しと。むしろ出なかったら怖いけどなw

運が悪けりゃ500回ぐらい覚悟していたが、なんとか普通に出てよかった。

人の手でやってる分、完璧にランダムとはいえないが・・・ランダムだと認められるだろう。

今回起こったことを問題にするだけだ。何も変なことは無いはず・・・」

こうして問題文は完成した。



「今回起こったこと・・・?

待てよ、今回に限って考えてみると、引くカードは100%ダイヤなのでは・・・?

100%ダイヤを引くんだから、箱の中のカードは、ダイヤ3枚には影響されない・・・?

答えは1/4・・・!?

いやいやそんなはずはない! もちついて考えてみろ!」

つづくw


「この問題はこう考えればいい。

ランダムに引いた時の組み合わせと確率を考えて・・・

要するに無限回カードを引いて、ダイヤ3枚だった時だけ箱の中のカードを見る。

そのカードがダイヤの割合はいくつになるかと言うことだ。

『残りのカードをよく切ってから3枚抜き出したところ、

3枚ともダイヤであった。

このとき、箱の中のカードがダイヤである確率はいくらか。』

この文章から、そういうことが読み取れる・・・よな・・・?

答えは10/49で合ってる。1/4ではない。」

私はもう一度、先ほど引いたダイヤ3枚を見てみた。



「俺はさっきの1回の試行で問題を作った・・・。

しかし『さっきの1回』も、ダイヤ3枚ではなく、他の可能性があったはず・・・

ハートだったりスペードだったりクラブだったり・・・

じゃあハートが3枚出ていたとしたら、問題文を『3枚ともハートでした』としなければならないのだろうか?

いやいやそんなことはない、私はダイヤ3枚での問題を作るから、ハートが出たらダイヤ3枚出るまでカードを引き続けただけの話だ。

そのうち飽きてあきらめたかもしれない。

飽きた場合でも問題は作っただろう。再現できなくても文章で書けばいいだけの話だ。」



「今ダイヤ3枚引けたが、他のカードが出る可能性もあった・・・

『残りのカードをよく切ってから3枚抜き出したところ、3枚ともダイヤであった。』

この部分、俺はダイヤ3枚としているが、他の可能性はどこに行ったのだろうか?

ランダムに引くと言っているのだから・・・

つまり枝分かれした『他のカードが引けた可能性の未来もあったよ』と言ってることになる。

ということは問題文中の『このとき』も可能性の数だけ存在することになる・・・!?

それらを合わせて考えると・・・

答えは1/4・・・!?

いやまて、ダイヤ3枚と言っているのだから、ダイヤ3枚の場合を考えればいい。

しかしランダムに引くと言っているのに、ダイヤ3枚にしている・・・

これは『思考の中に存在する、結果を選び出すことができる神』がダイヤ3枚にしている。

結果を選ぶことができるのだから、もはやダイヤ3枚の確率は無視していい・・・!?

答えはやっぱり1/4・・・!?」



私は混乱したが、すぐに解決策を思いついた。

「要するに問題文が言葉足らずなんだな」

ということで私は問題文を書き直した。


ジョーカーを除く一般的な一組のトランプ52枚がある。

これを箱から出し、良く切り混ぜ、ランダムに1枚引く。

引いたカードは表を見ないで箱の中に入れる。

残りのカードを良く切り混ぜる。

その中からランダムに3枚引いて表を見る。

もし3枚引いたカードが3枚ともダイヤだった場合は、箱の中の1枚目の表を見る。

ダイヤ3枚ではなかった場合は、箱の中のカードは表を見ずにカードの山に戻し、3枚引いたカードも山に戻して、もう一度最初からやり直す。

次に表を見る箱の中のカードが、ダイヤである確率は?





などということを最近考えていましたw

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